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-「フェスティバルFUKUSHIMA!」終了報告 -
遠藤ミチロウ

8・15から1ヶ月以上経ちました。今頃になって終了報告をするなんて、やりっぱなしで後始末をしない、いい加減なやつだと思われても仕方ない時間の経過を作ってしまったことを、深くお詫びします。

でもまずは、今回の「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」が、どんな結果に終わるのか予想もつかないなかで、1万人を超える沢山の人達が当日会場に集まって、炎天下の中、大きな事故もなく、無事素敵な終演を迎えることが出来たことを、深く感謝します。

このフェスティバルを行うにあたって、企画の段階からいろいろなかたちで関わってくれたみなさん、出演者、スタッフのみなさん、四季の里まで足を運んでくれたみなさん、同時多発フェスティバルを日本そして世界各地で起こしてくれたみなさん、そして熱い支援の気持ちで見守ってくれたみなさん、本当にありがとうございました。

「FUKUSHIMA」をネガティブなコトバからポジティブなコトバへ、未来はわたしたちの手で、と原発事故で絶望的になった現実に対して文化で何が出来るのか、という「プロジェクトFUKUSHIMA!」の想いは、今回のフェスティバルを通して、そこで出会った人たちの一人一人の中に宿ったのではないでしょうか。そしてネット中継でこのフェスを目撃した沢山の人達にも何かしら伝わったのではないでしょうか。

素人同然の集まりの中から進展したこのフェスティバルが、フリー(無料)というかたちをとり、商業的な方法もとらず、スポンサーもつけず、みんなのボランティアによって、従来にはない新しい「祭り」として実現できたのは、本当に奇跡的です。関わった人達、参加した人達みんなの手で作りあげた「祭り」になったと実感するばかりです。

ぼくは、3・11、戦争が始まった、福島は戦場だ、と宣言文で言いました。朝、会場の芝生に大風呂敷を敷きながら、「祭り」の始まりなのにぼくは「戦闘開始‼」の気分でした。ギラギラと容赦なく照りつける太陽を見上げながら、8・15にやろうと言い出した自分の判断は、別な意味で間違っていたんではないだろうか、という不安を吹き飛ばしたくて気負っていたのかもしれません。「戦場」の中の「祭り」なんだからと。しかし音楽解放区が始まってからなんかギクシャクというかよそよそしく戸惑っていた雰囲気が、突然降り出したどしゃ降りの雨で、冷や水を浴びせられたような中断。やられたっ!と落胆したら、何とその時避難したそれぞれのテントの中から、思いもかけない色々なコミニュケーションが生まれ、それが参加した人達の出会いとなって、みんなのこころが開かれていったのは嬉しい誤算でした。災い転じて福となす、を地で行くような瞬間、ぼくはフェスが雨上がりの蒸気のように熱気を帯びて再スタートしていくのを実感しました。そしてその熱気がそのまま、オーケストラFUKUSHIMA!へ。演奏者だけでなく、会場全員参加のオーケストラ、アンサンブルになったような気がしたのはぼくの錯覚だったのでしょうか。

その後、各ステージで始まったライブでは、再度の雷雨にもかかわらず、出演者の強い思いが、コトバとなり音となり、FUKUSHIMAの空へ、集まってくれたみんなの脳髄へ飛び込んでいったのに違いないと確信しています。

野球場でエンディングを迎えたぼくは、最後のステージ挨拶で「ありがとう‼」のコトバしか出ませんでした。でもそれと同じくらいFUKUSHIMAという戦場の見えない敵に向かって「バカヤローッ!!」って叫びたかったんです。だからバックスクリーンまで走って行って叫んだのです。

3・11の震災から半年が経っても、原発事故の状況は何も好転せず、放射能汚染の本当の厳しい実態が次々と明らかになっています。でも現実は、福島に住む人達だけでなく、日本中の人々に諦めと麻痺を植え付けるような不条理な対応ばかりです。マスコミもこぞって。そして、外部被曝ばかりか、食品や呼吸などを通しての内部被曝の被害の脅威に人々は晒されています。それは福島だけの問題ではなく、日本中どこにいても同じです。しかも放射能に汚染された土地でも農作物を作らざるを得ない農家の人々は、被害者としてと加害者としてとの立場の板挟みで絶望的な未来に揺れ動く毎日です。

しかし、内部被曝の被害を受けるのは身体ですが、こころも同じように"内部被曝"の被害に蝕まれているのではないでしょうか。思惑によって操作された誤った情報という放射能のようなコトバに惑わされ、不安と疑心暗鬼で、怖いものから目を背け、臭いものにはフタをして、自分に都合のいい安心に逃げ込もうとしているのではないでしょうか。風評被害も、こころの内部被曝が生み出す弊害です。でも、それは自分のチカラで除染できるのです。真っ当な情報や最良な基準に対して、冷静に自分が判断を下せば。

しかし、起きてしまった原発事故の現実に対して、ぼくたちは何が出来るのでしょうか。一人の市民として、今現実に放射能の害に晒されている子供などの弱者に、早急な対策を進めるよう強く訴えることや、もうこれ以上原発を増やすことや再稼働させることを阻止する声を上げることは出来るのです。そして原発の要らない世界に辿り着くように意思表示すること。それは未来に対するぼくらの責任です。

しかし、表現することで何が出来るのかといったら、こころの内部被曝による迷いやブレや不安や怒りを、自分なりにつかみ出すことです。現実と向き合って。それがなかったら、3・11以降のぼくたちの表現は、ただのプロパガンダや心情的なチャリティーにしかならないでしょう。ぼくが言いたい福島から文化を発信する、というのはそのことです。土地としての福島というより、3・11以降の自分のFUKUSHIMAから発信するという大切さ、それがないと福島と日本と世界をFUKUSHIMA! で突き刺すことは出来ません。突き刺すことが出来るきっかけとして「プロジェクトFUKUSHIMA!」はあるんだと。

だから、今回の8・15は、その第一歩になり得たのではないかと思います。それはあの日出会った人々の顔を見ればわかります。「プロジェクトFUKUSHIMA!」は本当に始まったばかりです。どんな表現が飛び出して、どんな「祭り」がまた作れるのか、そして自分たちの未来を自分たちの手で作れるささやかなきっかけになり得るのか、試行錯誤はまだまだ続きます。ありがとうございました。

9月23日(彼岸)、郡山にて
遠藤ミチロウ