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-「フェスティバルFUKUSHIMA!」終了報告 -
大友良英

フェスから1ヶ月近くがたってしまいました。挨拶が遅れてしまいごめんなさい。
まずは感謝の言葉から。
「8・15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」に関わってくださったみなさん、見守ってくださったみなさん、出演、スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。おかげさまでフェス大成功に終わりました。大風呂敷を会場に敷き詰めることに始まり、いくつもの雷雨を乗り越えつつ、最後は各ステージで本当に素敵な大団円を迎えることが出来ました。

来場者数約13000人(のべ13000人と公表してますが実際ののべ人数は推計2万数千人でした)、DOMMUNE FUKUSHUMA!の観覧者数はのべで25万人、出演者は200人以上のオーケストラ参加者を含め300人以上(一部メディアにオーケストラ100人とでてますが間違いで実際は230名ほどです)。日本中、世界中で把握してるだけで90カ所のフェスが行われ(こちらのほうはいったい何人の人達が集まったのかまったく把握出来てません、すごい人数になってるのでは)、そんな中大きな事故もなく、会場でのお客さんの顔、スタッフの顔を見ても、その後のツイッター等のネット上での反応や、各種メディアでの取り上げ方を見てもおおむね好意的で、まずはフェスとしては大成功と言ってもいいのではないでしょうか。
準備期間が短いなかで、ほとんど素人の手でおこなわれたフェスです。いたらないところ沢山あったと思います。でもそんな不備をはねのけるくらい、集まってくれた皆で作り上げたフェス、そんな感じがしてます。従来のような大手メディアを使うことなく、商業的な方法を使うことなく、ネットと口コミだけで、集まった人達と本当に一緒になってここまでのことが出来たというのも大きな成果のひとつだったと思います。

震災から半年が経ちました。3月に日本中に降り注いだ放射能の状況が好転しているわけでは決してありません。この先僕ら日本在住の人間は、食品汚染等からくる内部被曝の問題に何十年も悩まされることになります。汚染が比較的高めの地域の住人は、除染を含む様々な対策で外部被曝リスクを少しでも防いでいかねばなりません。とりわけ福島の子供達の問題を最優先に考えるべきです。検査を含む被曝医療の体制を一刻も早く充実していく必要もあります。こういうことを書くと怖がらせて煽るな、風評被害につながるという意見がかならず出てきます。でも何度でも言います。風評被害というのは情報を全て開示し、受け取る側が正しい知識をもって冷静に判断するちからを身につけることでしか解決しません。実態を見せないようにするような方法では解決するどころか疑心暗鬼の中風評の事態は悪化するばかりですし実害がでかねません。ただ大丈夫、安全と言い続けることに説得力などないということです。ヒステリックにならずに正しく怖がることで少しでもリスクを回避するしか僕らの自衛策はないと思っています。日本にはセシウムゼロの世界などもう無い・・・わたしはそう思っています。だったら少しでも被害をださないように知識を身につけ現実をごまかざずに冷静に動く以外にない、そして、そうすることによって被害は最小限に防げるとわたしは考えてます。もし、こんな世界が嫌だと言うなら、そんな事故が今後二度と起こらないようにするのが大人の役目だし、子孫にこんな思いをさせないようにする努力をする・・・それがわたしの意見です。

「僕らには祭りが必要だ」フェスを8月15日にやった大前提はこれでした。そして僕らがかかげた標語が「未来はわたしたちの手で」でした。今回のフェスで、僕らは、こうした意思の最初の扉をひらくことが出来たということだと思います。
あの日、ウォーターステージが終わったあと、わたしはステージ裏で感極まって泣いてしまいました。3月11日以降のオレは本当に泣き虫です。だれにも見られたくなかったので、こっそりと楽器置き場に移動したら、ばったりと木村真三先生に出くわしてしまいました。しまったと思ったのもつかのま
「泣いてる暇なんてないですよ、これからですから。先は長いですから。」
人生の岐路でいつもこの人は、もう・・・苦笑。でも本当にそうなのだ。

フェスが終わってみて、みなが福島のことを心配し、FUKUSHIMA!の声を上げる中で、ひつだけ思ったことがあります。オレはもう福島、福島って言うのやめよう・・・ということです。最初の宣言文で、ネガティブな響きとともに世界に知れわたっってしまったFUKUSHIMAを、ここから新しい未来が生まれたんだと言えるようにすることでボジティブな響きに変えて行こう・・・というようなことをオレは言いました。その気持ちは今も変わりません。ただしそれはフェスをやったくらいではとても実現出来るようなものではないことも最初から百も承知です。ほんとにFUKUSHIMAが誇れるような響きとして世界に轟くためには、この先、多くの分野の沢山の人々の長い地道な努力が必要です。福島だけではとても出来るような問題ではありません。ぼくらの活動はそんな人達の憩いや生きて行く活力、そしてなにより指針のひとつになれればいいとも思います。その中で自分自身に出来ることがあるとすれば、福島という言葉を声高に叫ぶことではなく、福島も東京も、日本も海外もなく、ただ、ひたすら、どこのものかもわからない自分の音楽をつくりつづけ、福島だけでなく今まで通りさまざまな場所に、予想もしなかったような音楽の場をみなでつくりつづけ、祭りの場を再構築する中で、自分たちの新しい日常を参加した人達と一緒に再獲得していくことしかなんじゃないかということです。それは、20世紀に生まれた、僕らを育ててくれた敬愛するポップカルチャーやカウンターカルチャーへの決別宣言でもあります。ぼくらが見つけ、獲得していかなくてはないらいのは、それとは違うあたらな道だと思うからです。
8月15日まではテーマは「FUKUSHIMA」でした。そして僕らはその扉をまずは開いたんだと思います。この先にあるのは単なる「FUKUSHIMA」という内なる叫びではなく、福島で起こってしまった問題に向かう中で、僕らはどう普遍的な問題に向かって行けるか、人類というのはこの先どうやって生きて行くべきなのかということを日常を獲得しなおして行く中から見つけていくことだと思っています。福島とともにうごきつつ、でも福島の中側からだけの視点にならないように。それがオレの役目のような気がしています。

10月、まずはチェルノブイリに木村先生とともに行こうと思っています。海外に行くのは7ヶ月ぶり、こんなに日本に居続けたのは過去20年間はじめてのことです。3月、欧州ツアーをキャンセルすることから、わたしは震災や原発の問題と向き合い出しました。今までの人生でこんなに全力で走り続けたことはないというような半年でした。今度は、チェルノブイリを皮切りに11月にはオーストリア、そしてNY、12月にはオーストラリア・・・再び、旅する人生に戻ろうと思います。戻る中で、自分が住んでいる東京のこと、こうして深く深く関わることになった福島のこと、そしてもしかしたらこの先、関わって行くことになるであろう様々な地域の人達と、顔をつきあわせながら、やれることをやっていこう。その中で僕らは、内の人間も外の人間もなく一緒に新しい日常を自分たちの手で見つけていこう・・・フェスの余韻と疲労からやっと抜け出した今、そう決意を新たにしてます。
プロジェクトFUKUSHIMA!の活動の真価がとわれるのもこれからだと思っています。

2011年9月11日
福島から東京に向かう新幹線の中で
              大友良英