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「納涼!盆踊り」遠藤ミチロウより

「ぼくらの盆踊り」
ええじゃないか音頭で踊りゃんせ!

 今年の「フェスティバルFUKUSHIMA!」のテーマは「盆踊り」です。な、なんで今更盆踊りなんだ?って思うでしょう。確かに、各地で季節が来ると話題になり有名なお祭りは今でも盛況で沢山の人出があり、観光客が沢山集まります。でも、以前は夏が来るとどこにでも見られたおらが地元の、町内の小さなお祭り「盆踊り」は廃れる一方です。まるで、郊外に大型ショッピングセンターができ、沢山のお客さんが集まるのとは対照的に、シャッター商店街化する駅前、町内商店街みたいです。時代の流れだと言ってしまえばそうなのでしょうが、今まであった街そのものが変容し、そこに暮らす人々の生活も変容しているのが現実です。

 震災以降、「プロジェクトFUKUSHIMA!」が取り組んできたのは、原発事故で住むことさえ悩まなくてはならなくなったFUKUSHIMAから、未来に新しい希望を持てる"文化"が産まれるか?ということでした。文化なんていうと硬苦しいのですが、そこに生活する人々にとって本当に楽しめる"お祭り"ができないか、と言ってもかまいません。それは震災、原発事故以降の新しい状況の日本のどこにでもあてはまるささやかな希望です。

 僕らは震災から2年目、試行錯誤を繰り返しながら、時間の経過とともに停滞する日常に埋没してしまう不安と諦めを抱え、いったい何をやるか悩みました。状況の違う人達が、その違いを乗り越えてみんなが楽しめる自分たちのお祭りはできないものか。その時僕が気になったのが、去年の「フェスティバルFUKUSHIMA!」絡みで、二本松で行われた「浪江音楽祭」です。

 原発事故で浪江町から避難を余儀なくされ、故郷浪江に帰ることが出来なくなって、二本松の仮設住宅で暮らす人達。その仮設住宅で、少しでも楽しいお盆を過ごせないかと企画し行われた音楽祭。催し物は沢山あったけれど、その中のささやかな盆踊りが僕の胸を締め付けたのです。

 小さな櫓を囲んで、テープから流れる「相馬盆唄」を聴きながら、輪になって楽しそうに踊る人達。きっと今までの苦労や、現在の厳しい状況を少しでも忘れて、帰ることが出来ない故郷浪江を想いながら踊ってるんだなあ、と思うと胸が熱くなり、思わず輪の中に飛び込んで踊ってしまいました。盆踊りには照れがあったのですが、見よう見真似で振り付けを覚えるのも楽しいものです。そこには失われてしまったおらが地元浪江があったのです。

 震災以前まで、浪江にはまだ盆踊りが町内の夏のお祭りとして大きな役割があったんだろうな。地元の若い人達が意欲的に参加してたかどうかはわからないけど。そういえば僕の故郷の二本松でも盆踊りといったら「相馬盆唄」だった記憶があります。今はどの町内でも盆踊りなんてやってないみたいですが。

 確かに若い人達はクラブでヒップホップのビートで踊ったり、Rockのライブで飛び跳ねる方が楽しいし、盆踊りはなんか野暮ったいし、乗れるリズムじゃないし、盆唄もあんまり感じるもんじゃないし、縁遠くなってるのが実際です。

 でも盆踊りは本来小さな地域で行なわれて、見るよりは踊る方が楽しいし、振り付けを覚えれば誰でも気軽に参加できるお祭りだったはずです。踊ることの楽しさは人間の生きる本能を刺激して、ストレスだって吹っ飛んでしまうはずです。

 ただ今までの盆踊りは時代の流れからだんだん取り残されて、シャッター商店街みたいになってしまったのは、同じ理由や構造があるのではないでしょうか。だから僕らは、震災以降の新しい息苦しい状況のなかで、自分たちの楽しいお祭りを作るには、新しい"盆踊り"を見つけたいと、いや作りたいと思ったのです。

 それには震災以降の人々の色んな思いを反映した新しい盆唄も必要だし、演奏も踊りも、今までにない新しい、しかも誰でも参加できる、したくなる要素が必要です。場所が変われば、人が変わればそれに合わせて好きに変化できる。

 そんな自由な変幻自在な新しい盆踊り、夏祭りができたら楽しいだろうなと思うのです。時代が大きく変わった幕末に爆発的に広まった「ええじゃないか踊り」。人々は激変する時代に対する不安と不満を「ええじゃないか踊り」に込めて踊り狂ったように、僕らの「ええじゃないか踊り」を作れたらなあ、と。

 閉塞してしまった地域、地元を活性化するのに色んなところで行なわれてる「街おこし」。B級グルメだったりゆるキャラだったり。でもそれは観光に繋がっていかないとダメだって皆が思っています。でも僕らが作る盆踊りは、そこに住んでる人達が生き生きする「人おこし」になれればと夢みるのです。
遠藤ミチロウ