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2.プロジェクト始動の経緯

 第4回中原中也賞を受賞した詩人であり、福島市に隣接する伊達市の高校に国語教師として勤務する和合亮一は、2011年3月11日、職場で被災した。自宅のある福島市の震度は6弱。市内でもいたるところで電気やガスなどのライフラインがストップする中、頻発する余震に脅かされながら、故郷福島が「壊滅する」かもしれないという意識で自宅から和合がツイッターを通して発信を始めたのは震災5日後のことである。
「詩の礫」として毎晩のように綴られた言葉は、始めは具体的な避難所の様子などを描きながら、次第に抽象的な、詩のような言葉へと変化していった。

 東京のスタジオで録音中に被災した大友は、今も両親が暮らし、自身も10代を過 ごした福島の様子を知りたい一心で、夢中でブログやツイッターを検索し、福島の生 の情報を集めようとしていた。その中で出会ったのが、和合の発信していた「詩の礫」の一連の言葉だった。「胸に突き刺さるようだった」と大友が語る和合の言葉に触発されるように、ツイッター上で連絡を取ったところ、大友が高校の先輩であることを知っていた和合からすぐさま返信があったという。

 一方もう一人の共同代表を務める遠藤ミチロウは、3月11日午後2時46分、九州でのライブツアーに向かう機上にいた。飛行機を降りテレビの報道で震災と震源が故郷 福島に近いことを知った遠藤は、ライブツアーの合間も一睡もせずテレビにかじりつ いて原発と故郷の状況を窺っていたという。日本全国をくまなくまわり、年間100本以上のライブを行っている遠藤は、ツアーの先々で福島に行ったというミュージシャン仲間から地元で流布されている風評被害のことを聞くなどし、自分たちが福島に入って無料の音楽フェスティバルを開催したいと思うようになっていった。そして遠藤が連絡を取ったのは、同じ福島高校の後輩である大友だった。都内で大友に会った 遠藤は、福島で8月15日に音楽フェスティバルを開催したいと打ち明けた。遠藤が 8月15日にこだわったのは、勿論その日が終戦記念日であり、いわゆる戦後が始まった日と捉えていたからである。豊かさを追い求めた先に原発を生んだ戦後日本社会が、震災と原発事故により崩れ去った現在の状況を、遠藤は戦争になぞらえることで、「戦後自分たち日本人が作り上げてきた社会をもう一度検証しなおす」契機にしたい、と考えた。この時大友は遠藤のフェスティバル開催の提案に対しては回答を留保し、逆に 一旦福島に行って現地の人々と話してから結論を出すことを提案した。ここで考えておきたいのは 2人とも高校卒業とともに福島を出てからは、お互いほとんど福島を振り返ることはなかったという点である。にもかかわらず、これほどまでに真剣に福島に取り組むことになろうとは夢にも思ったことがなかったという。

 4月に入ってはじめて実家のある福島市入りした大友は、市内で和合に初めて会い、遠藤からの提案である夏の福島でのフェスティバル開催の是非を相談した。会話を重ねるうちに、最初は懐疑的だった2人は、次第に開催に傾いていった。

 この最初の福島滞在中に、大友は福島の知人たちと会い、「心から血を流している」ように感じたという。これは筆者自身が福島の友人たちと会って話した印象とも同じ である。原発から北西に60kmほど離れた福島市では、距離の割に放射線量が高いことは次第にわかってきてはいるものの、果たしてその数値をどう判断すべきなのか、 人体にはどういう影響を与えるのか、信用に足る情報はほとんど無いに等しかった。「ただちに影響はない」「安全・安心」の政府発表を追従するメディア報道や行政の発行する広報誌の情報が広がる一方で、原発付近では住み慣れた土地を失い、避難生活を余儀なくされる者もいれば、福島市などでも幼い子どもを抱えた家族を中心に、避難する人々、やむを得ない事情で残る人々の間でも分断が起こり、福島に暮らす人々は皆極度の不安とストレスの中で、悶々としていた。

 そのような状況下で、フェスティバルの開催を一旦は決意したものの、大友を始めスタッフの間では本当に開催できるのか、全くといっていいほど自信はなかった。仮に大きなフェスティバルが開催できなかったとしても、客をまったく呼ばずにインターネットで演奏だけを中継するプランや、福島駅前でゲリラ的に遠藤と大友が路上ライブを敢行するプランなど、冗談とも取れないアイディアもそれなりに現実的に思えた。それでも、この福島のありのままの姿を世界に向けて発信していかなければならない、不名誉になってしまった FUKUSHIMAの名を、新しい希望が生まれるポジティブな名として未来に伝えていきたい、との思いから、5月7日には福島市内でプロジェクト立ち上げの総会が開かれ、県内外から50人以上の有志が集まった。そして翌8日、市内のホテルの会見場にて記者会見を行い、遠藤、大友、和合の代表3名によってプロジェクト FUKUSHIMA!の旗揚げと、8月15日にフェスティバル開催に向けて動き出すことが宣言された。

 会見で遠藤が読み上げたプロジェクトとしての宣言の一部を紹介しておく。

「故郷を失ってしまうかもしれない危機の中でも、福島が外とつながりを持ち、福島で生きていく希望を持って、福島の未来の姿を考えてみたい。そのためにも、祭りが必要です。人々が集い、語らう場が必要です。フェスティバルを通して、いまの福島を、そしてこれからの福島の姿を、全世界に向けて発信していきます。FUKUSHIMA!をポジティブな言葉に変えていく決意を持って」